非戦の誓いがくすまぬよう磨くべき1年だった。しかし安全保障環境が波立ったまま戦後80年が暮れてゆく。過去の教訓と向き合う政治が求められる。

 終戦の日の8月15日、首相であった石破茂氏は公式の「首相談話」を発表できなかった。

 先の大戦の反省に立ち、平和国家として歩む誓いを公式に示すべきだった。

 石破氏は10月に所感を示すにとどまった。歴史認識には踏み込まなかった。自民党内の保守派への配慮が背景にあった。

 7月の参院選での大敗以降、党内では保守派の声が大きくなっていた。保守票の離反が大敗の一因と目されたからだ。

 結党70年を迎えた自民の混乱は、政治空白を生んだだけでなく、終戦の日との向き合い方をゆがめてしまった。

 自民の「解党的出直し」から高市早苗首相は誕生した。初の女性首相であり、「強い日本をつくる」と語る保守強硬派である。協力が26年間に及んだ公明党が離れ、日本維新の会との自維連立政権になった。

 高市氏の台湾有事に関する発言に中国が反発をエスカレートさせているのが気がかりだ。

 ◆急がれる和平の実現

 対立は日中だけではない。各地に亀裂が走り、戦火が絶えないのが現実だ。

 パレスチナ自治区ガザは、2023年からの戦闘で全域が荒廃した。飢餓を伝える報道に何度胸を締め付けられたろうか。

 侵攻を受けたウクライナの苦しみは間もなく4年になる。ロシアのプーチン大統領は一歩も引かない。

 和平の鍵を握るトランプ米大統領のディール(取引)外交に日本も振り回された。高関税政策が、自動車をはじめとした輸出産業の足かせとなる。

 25年は本県にとっての転換点として記憶されるはずである。

 地元原発の再稼働へかじが切られ、コメを巡る農政は目まぐるしく変転した。政治に揺さぶられた年だった。

 花角英世知事は年末、東京電力柏崎刈羽原発の再稼働に関する同意を国に伝えた。

 知事の判断に先立ち、県議会で資源エネルギー庁長官が2度説明に立ち、東電社長は地元への1千億円規模の拠出を表明した。再稼働へ一気に地ならしが進められた。

 ◆県民置き去りの判断

 問題は地元同意に至る過程である。知事は県民投票や知事選ではなく、県議会に判断を求める道を選んだ。

 原発はリスクを後世にも負わせるものだ。福島の事故原発を11月に視察した花角知事は、その未曽有の事故の教訓としっかり向き合ったろうか。

 県民の原発に対する不安、疑念は根強い。県民から直接賛否を示す機会を奪った手法は、禍根を残すだろう。

 同意に当たり知事は、原発の武力攻撃対策など県民が懸念を抱く課題に対し、国が責任をもって取り組むことを求めた。

 信じるに足る政府であるかどうかが問われよう。

 政策の急転換に翻弄(ほんろう)されたのはコメだった。

 猛暑などの影響による米価高騰を受けて今夏、政府は主食用米の生産抑制から増産への転換を表明した。ところが高市政権では、増産ではなく「需要に応じた生産」に転換した。

 主食を巡る農政の拙さが浮き彫りになった。本県生産者にも困惑が広がった。将来への意欲を引き出す農政が欠かせない。

 各地で難渋したのはクマへの対処だ。生活圏に入り込み、人的被害が相次いだ。やむなく緊急銃猟が始まった。秋田県では対処の人手を自衛隊に求める場面もあった。

 大量出没と気候変動との関係を探らねばならないだろう。自然界からのメッセージに敏感でありたい。

 スポーツでは、米大リーグの大谷翔平選手や山本由伸投手に沸いた。本県ゆかりの大の里が横綱に昇進したのは喜ばしい。

 サッカー・アルビレックス新潟のJ2への降格が惜しまれる。J1復帰を願うサポーターの声に応えてもらいたい。