節目の年が暮れる。終戦から80年を経た現在地の揺らぎを、見つめた1年ではなかったか。二度と戦争の過ちを繰り返さぬと、あらためて固めた誓いが、目に映る景色と混じり合わなかった
▼8月を中心に本紙など多くのメディアで、生々しく痛切な戦時の記憶が語られた。体験者の肉声は早晩聞けなくなる。被害と加害の痛みを後世に伝承していく役割は、戦後世代に引き継がれる
▼その決意と政治の動きが、どうにも重ならない。防衛費の膨張が続く。米国の圧力だけが理由ではないだろう。有事の武力行使の具体的な可能性が公の場で語られ、殺傷能力のある日本製の武器輸出が議論される
▼核兵器を巡る国の基本原則も見直されようとする中、「核兵器を持つべきだ」と官邸筋から聞こえた。憂慮が深まる一方で、助長する勇ましい声が勢いを増す。高市政権の高支持率はその延長線上にある
▼昨年の日本原水爆被害者団体協議会のノーベル平和賞受賞に喝采し、終戦の日や原爆の日には祈りをささげ、非戦を契る。平和主義を固く信じる草の根の運動と防衛政策を語る理屈との違和が膨らみ、乖離(かいり)していく。それが戦後80年の現実ではなかっただろうか
▼平和ぼけだとやゆされても、その選択により手放すものがあっても、敗戦から再出発を図った国が守り通していかねばならぬ平和のありようがあるはず。なし崩しで現状を追認する先には、いつか来た道が開けかねない。81年目も、82年目も、一人一人が考え続けていくしかない。
