近藤喜文の生家跡地付近にある水路。幼少期の風景をほうふつとさせる=2025年12月、五泉市

 「近藤喜文さんが生まれ育った五泉市にある資料はとても貴重。絶対、大勢に見てもらった方がいい」

 2025年12月、五泉市の村松郷土資料館。近藤の監督作「耳をすませば」に縁が深い東京・聖蹟桜ケ丘の市民団体「せいせき観光まちづくり会議」の太田浩太郎(51)が、五泉市生涯学習課の猪俣暁広(26)に力説していた。

 五泉市は14年、家族に宛てた手紙や、幼少期に描いた紙芝居といった近藤の資料を譲り受けた。

展覧会に向け、幼少期の近藤喜文が描いた紙芝居などを確認する五泉市生涯学習課の山﨑天(右)と猪俣暁広=5日、五泉市

 太田はこの日、東京から機械を持ち込み、まちづくり会議のメンバー2人と資料をスキャンした。

 熱意と行動力に触れ、猪俣も感じるところがあった。庁舎に戻ると、課長の山﨑天(57)に相談した。「近藤さんの資料はしばらく展示していない。ぜひ、見てもらいたい」。18年に近藤の資料を初公開した際にも関わった山﨑は、二つ返事で背中を押した。

 五泉市が近藤に着目する大きな契機は14年、県立万代島美術館で開かれた「近藤喜文展」だ。会期中、市はラッピングバスを走らせ、観覧ツアーも企画した。

 こうした情報を見聞きし、...

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