日本の女性が参政権を手にして初めて総選挙に臨んだのは、終戦翌年の1946年だ。全国で約1380万人の女性が投票し、39人の女性議員が誕生した。本県の村島喜代と野村ミスも、その中にいた

▼全県を二つに分ける大選挙区制で、新潟1区の村島は2位当選し、2区の野村は5位だった。落選者に田中角栄、稲葉修といった名も見える。野村は当選後「新しい日本建設はまず健康から」と主食の確保に意欲を見せた。女性参政の夜が明けた

▼ちょうど80年後の節目の衆院選で、初の女性首相の高市早苗自民党総裁が旋風を巻き起こした。自民は本県の小選挙区で全勝するなど大幅に議席を増やし、勢力図を塗り替えた

▼「高市早苗が首相でいいのかどうか」を問うと衆院を解散し、自民は「高市人気」に乗った。首相の写真集かと見まがう政策パンフレットを作り、各候補は「高市」「高市」と大合唱した

▼女性参政権の確立は、平塚らいてうや市川房枝らが土台を築いたが、連合国の占領政策でもあった。選挙権付与による日本婦人の解放を民主改革の筆頭に掲げた。司令官マッカーサーは「女性は子供が戦場で死ぬのを好まない。女性の参政権が日本の軍国主義をやっつける力になる」と語った(菅原和子「市川房枝と婦人参政権獲得運動」)

▼マッカーサーの言葉が何とも皮肉に読める。今回、タカ派的な「強さ」を打ち出す高市首相のイメージに大衆が呼応し、政治の風景を大きく変えた。これが民主主義の成熟なのだろうか。