未明のテレビに向かって思わず「行けっ」と声が出た。ハンガリーで開かれた水泳世界選手権の男子100メートルバタフライ決勝。日本勢が世界の厚い壁に阻まれてきたこの種目で、新潟医療福祉大職員の水沼尚輝選手(25)が銀メダルの偉業を成し遂げた

▼前半50メートルは8番手。だが終盤、1ストロークごとにライバルたちに迫り、抜き去った。「水泳ファンの大きな声援が、僕の背中を押してくれた」。すがすがしい表情だった

▼昨年の東京五輪後、お世話になった人に「UBUNTU」と記した手提げ袋を贈った。南アフリカのズールー語で「ウブントゥ」と読む。意味は「あなたがいるから私がいる」。同国のアパルトヘイト(人種隔離)政策撤廃に尽くしたネルソン・マンデラ氏の信念といわれる

▼水沼選手はこの言葉を胸に刻む。故郷の栃木から進学した新潟医福大で力を付け、社会人になった3年前、ようやく日本代表に。遅咲きのスイマーだ。「自分一人で今の結果はないし、生きてもいけない」

▼温かく見守ってくれた両親や指導者への率直な思いがにじむ。子どもに声を掛けられた際には身をかがめて応える。新型ウイルス禍の影響で競技生活は翻弄(ほんろう)され、心も揺らいだ。そんな中でもレース後は、まず大会関係者への感謝を口にした。多くの出会いから「自分」を作り上げてきた

▼新潟に住んで8年目。居心地がいいという。地方から世界の頂を目指す壮大な物語は、来年福岡で開かれる世界選手権、2年後のパリ五輪へと続く。

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