新潟県長岡市に降りかかった1945年8月1日の長岡空襲からことしで77年となる。空襲は午後10時半に始まり、長岡市中心部に16万発以上の焼夷(しょうい)弾が投下された。火の海に包まれた街で人々は信濃川の堤防や長生橋、田畑の広がる方面へ逃げた。分かっているだけで1484人が命を落とした。翌日、焼け野原となった中心部には、むごい光景が広がった。これに先立つ7月20日には、長岡市左近町に模擬原爆が投下され4人が死亡している。ウクライナで戦火が広がる今。空襲の悲惨さを次の世代に伝えようと、新潟日報社に体験者が思いを寄せてくれた。

◆2度の災禍を経験 戸田才市さん(90)
一気に火、苛烈さ段違い
現在の東京・江東区出身で、長岡市中島3に住む戸田才市さん(90)は、東...
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