15日で終戦から76年となる。不戦の誓いに政治はどう向き合ってきたのか。戦没者遺族らでつくる日本遺族会会長で、来夏の参院選に出馬せず、今期限りで引退することを決めた水落敏栄・自民党参院議員(78)=新潟県十日町市出身・比例代表=に平和への願いや後進に託す思いを聞いた。(東京支社・遠藤寛幸)
-水落さんにとって戦争とはどのようなものですか。政治に関わってきた思いを聞かせてください。
「父は赤紙1枚で召集され、山形県の『神町海軍航空隊』で飛行整備兵をしていた。1945年8月9日、飛行場で米軍機の爆撃を受けて亡くなった。私が2歳半のときだった。母は朝4時から田畑を耕し、日中は土木作業に行って、私を育ててくれた。貧しくて学校の集金の支払いもままならない。コメは換金してしまうので1週間に1回しか食べられなかった」
「母を助けようと中卒で就職しようとしたが全て落ち、当時の担任に『お前は片親だから』と言われた。父は国の命令で戦地に行き命を落としたのに、戦後は『戦争に加担した犯罪者』と差別された。その理不尽さが政治家として活動する上での根底にある」
-遺骨収集を「国の責務」と位置付け、2016年に成立した戦没者遺骨収集推進法では、与野党の調整に当たりました。
「1974年にサイパンで初めて遺骨を収集した。1カ月間泊まり込み、2千柱を集めた。終戦から29年がたっていたのに、頭蓋骨がそのままで残っていた。驚きと同時に怒りが湧いてきた。『なんで政府は放置してきたのか』と」
「その経験から、早く祖国の遺族に返さないといけないと思ったが、遺骨収集には法的根拠がなかった。党の政務調査会に訴え、議員立法として成立させた」
-15日には、超党派の議員連盟「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」を代表して靖国神社への参拝を予定しています。
「戦争で国家のために命を落とした人に感謝の気持ちを表すために参拝するのは当然だ。首相の参拝が途絶えていることは残念に思う」
-戦後76年となり戦争を知る世代の高齢化が進んでいます。
「戦後生まれの国民が8割超となり、国会議員でも戦争を知る世代は数えるほどになった。戦争の記憶が忘れ去られようとしている。しかし、先の大戦で約310万人が亡くなり、その犠牲の上に日本の繁栄がある。絶対に忘れてはならない」
「高齢で次の選挙は戦えないと判断したが、語り継いでいける人を後継にしたい。戦争の苦しい、貧しい記憶を次世代に伝えていかなければならない。二度と戦争をしてはいけない。私のような遺族をつくってはならない」
◎水落敏栄(みずおち・としえい)1943年、十日町市生まれ。新潟商業高卒。日本遺族会専務理事などを経て、2004年の参院選で初当選。文部科学・内閣府副大臣などを歴任し、20年10月から参院議院運営委員長。