語り部の活動で使う防空頭巾を手に、母の写真の前で思い出を語る古田セツ子さん=新発田市豊町1
語り部の活動で使う防空頭巾を手に、母の写真の前で思い出を語る古田セツ子さん=新発田市豊町1

 右耳裏の傷跡を指でなぞるたび、母親を思い出す。降り注ぐ焼夷(しょうい)弾から、1歳の自分を抱きかかえ守ってくれた。

 「でも、私に防空頭巾をかぶせなかったことをずっと後悔していた」。15日で終戦から76年。新潟県新発田市豊町1の元小学校教頭、古田セツ子さん(77)は亡き母に思いをはせる。

 1945年、東京都立川市。父の大平弘明さん=享年(88)=は、立川飛行場で整備士をしていた。母テイさん=享年(53)=と兄、姉の5人で飛行場近くで暮らしていた。

 当時、立川市は多くの軍事施設や軍需工場があった。45年2月から終戦まで13回もの空襲を受け、300人超の市民らが犠牲となった。

 同年4月の夜。米爆撃...

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