「私の幼い日の思い出の中に、いつも夏の行水と結び付く」。生活評論家の吉沢久子さんが本紙人気コラム「家事レポート」で、日向水について書いていた

▼「ひなたみず」と読む。くみ置きの水がお日さまで温められ、いいあんばいになる。昔の人々はそれで汗を流した。吉沢さんは遊んで帰ると日向水を「たらい」に満たして行水をし、着替えてからおやつにありつけたという

▼温まるといっても、せいぜい気温と同じぐらい。できるまで時間はかかるが、肌触りは優しい。何より、外で湯あみをする開放感は何物にも代えがたい。家の風呂では味わえない、夏ならではの魅力があった

▼「あった」と過去形で書かねばならぬところが世の流れか。行水に欠かせない、たらいが姿を消して久しい。そもそも庭のない家や集合住宅では、たらいの置き場があるかどうか。日向水をつくる時間と心のゆとりもなくなったような

▼吉沢さんが過ぎ去りし日々の思い出をつづったのは2011年6月、東日本大震災の発生から3カ月後のことだった。官民を挙げた節電の大合唱がよみがえる。県内ではスーパーが営業時間を早め、工場はサマータイムを導入して電力不足に備えた

▼この夏も電力事情は厳しい。買い物に行った店の照明は落とされ、商品の棚は薄暗い。〈日向水使ひし後を打水に〉野見山ひふみ。かつての生活の中に節電のヒントがある。「暮らしの見直しには、いい機会だと私は思っている」。吉沢さんの言葉を改めてかみしめる。

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