日常で真の闇を経験することはあまりない。月のない夜も消灯した部屋も、どこかに光がある。だが先日体験したのは前後不覚の闇だった

▼江戸初期に開削された佐渡金山の坑道を巡るツアーに参加した。一般的な見学コースではなく、予約した人しか入れない「大切山坑」にガイドと共に入る。約400年前の手掘り技術の高さに驚きながら進んだ

▼参加者全員がヘッドライトを消し、短時間闇を体験した。暗いというより黒い。漆黒、暗黒とはよくいったものだ。目が開いているのか閉じているのかも分からなくなる

▼寺の内部の真っ暗な通路を壁伝いに進む「胎内巡り」に参加したことはあるが、その時より闇が濃く感じられた。かすかな灯火を頼りに命を削り、掘り進んだ江戸時代の坑夫の姿が頭をかすめたからだろうか

▼佐渡は今も街灯がまばらな場所が少なくない。ネオンが輝く都市と比べれば闇は身近だ。星はよく見えるが、ふと暗がりが薄気味悪く感じられることもある。「幽霊の正体見たり枯れ尾花」。怖いと思ってよく見たら枯れたススキの穂だった、ということわざ通りのこともある

▼佐渡では後継者不足などで廃寺が増えているが荒れ果てた様子に「滅びの美しさ、わびさびを感じる」という観光客らも増えているという。冬を迎え、より寂しいイメージが深まるが、幽玄の世界を感じられる土地柄は人によっては魅力にもなる。時を超えて、昔の人々の暮らしに思いをはせられる場所が数多く残っているのは確かだ。