種を明かさぬ予告編に関心をかき立てられたけれど、公開されてみれば拍子抜けするほど予定調和のストーリーだった。そんな映画を見せられた気になる。第2幕もキャストからして結末が予想できる

▼花角英世知事が東京電力柏崎刈羽原発の再稼働を容認すると表明した。長い手続きを経た。国や経済界がこぞって再稼働への圧力を強める中、「長くは引っ張れない」と導いた結論という

▼焦点は知事の判断に対する県民の意思を確認する手段だった。知事は県議会に自らを信任するか否かを諮ることをもって確認するとした。知事選でも県民投票でもなかった。「信を問う」には違いない。ただ大仰な口上だったものだ

▼これまで「多くの人が信を問うという言葉でイメージできるものがある」「存在を懸ける」とも語ってきた。齟齬(そご)はないとの認識のようだが、語感は随分違う。県議会は、国政与党であり知事与党でもある自民党が、多数を占めている

▼知事の決断は決断として、この日の説明で、再稼働に慎重な県民のどれほどが腹落ちしたか。賛否が対立する問題は世の中にあまたある。双方が納得はできないまでも、理解するに至るよう導く調整が政治だとすれば、肝心な手続きが抜け落ちていると思えてならない

▼それを「県民の理解を促す丁寧な説明を求める」と国に丸投げするなら、地方に生きる者のアイデンティティーとは一体何なのか。福島の原発事故を踏まえても、地方と中央との関係性は何も変わらないのだろうか。