三毛猫泣太郎、自転車早吉、凸凹太吉などと名付けられたのは芸人ではない。一二三山四五六(ひふみやまよごろく)、文明開化、ヒーロー市松なんて名もあった。いずれも大相撲で実在した力士のしこ名である。珍名は明治時代に多かった
▼しこ名は元々「醜名(しこな)」と書き、大地を踏みしめ地中の邪気を追い払う儀式を行う者を指した一方、名乗るほどの者ではないという謙遜の意味合いもあったという(伊藤勝治監修「大相撲の解剖図鑑」)
▼一般的に、出身地の山河や在籍する部屋で受け継がれる文字を入れるパターンなどが知られる。3年半前に来日し、九州場所で初優勝したこの力士のしこ名はどうか。安青錦新大(あらた)。きのう大関昇進が決まった
▼元関脇安美錦(あみにしき)の安治川(あじがわ)親方から譲り受けた「安」と「錦」、日本で角界入りまでの生活を支えた恩人の名をもらった「新大」、そして故郷ウクライナの国旗にちなむ「青」。思いがぎっしり詰まっている
▼ロシアが軍事侵攻を始めた年の春、「人生が終わるときに後悔したくない」とキャリーケース一つで、言葉も生活習慣も違う異国に飛び込んできた。憧れた世界で身を立てるために稽古に稽古を重ね、低い構えからのしぶとい攻めを磨いた。軽量の部類の体で粘り強く食らいつく姿は、大国の横暴に屈せぬ母国を体現するようだ
▼昇進伝達式で21歳の新大関は「さらに上を目指して精進いたします」と飾り気なく誓った。しこ名の通り、安らげる故郷に錦を飾る日が早く訪れますように。和平協議の結実を祈る。
