「ゴルバチョフ大統領を新潟に呼ぶ会」という名の団体があった。1991年に訪日を控えていたソ連大統領を招き、対岸交流の起爆剤にしようと前年に設立された。官民挙げての招致活動は盛り上がった
▼ゴルバチョフ氏は東西冷戦を終結させた立役者。地域の未来を対岸交流に賭けていた新潟にとっては何とかして訪問を実現させたかった。ソ連の要人に働きかけたり、当時の政府機関紙「イズベスチヤ」に「新潟はゴルバチョフ大統領を歓迎します」と全面広告を出したりした
▼訪日時の都合がつかず、新潟訪問は日の目を見ることはなかった。それでも今振り返ると、新潟を環日本海の拠点にしようと奔走した人々の熱気がよみがえる。「ゴルバチョフ」は対岸交流を象徴する言葉だった。氏の訃報に接し、改めて時代の移り変わりを感じる
▼歴史を語る際に「もしも」は禁物である。とはいえ想像したくなる。ゴルバチョフ氏がもう少し長く権力の座にとどまっていたら、環日本海地域の交流は盛り上がっていただろうか。日ロ関係は今とは違っていただろうか
▼ところで2004年には、やはりロシア大統領の訪日に合わせ、新潟へ呼ぼうという団体が設立された。その名も「プーチン大統領を新潟にお招きする会」という。ただ、以前と比べると、こちらの会は盛り上がりを欠いた。もちろん招致は実現していない
▼今、かの国の指導者がゴルバチョフ氏であったなら-。意味のないことと分かっていても、つい想像したくなる。