「人馬一体」との言葉があるように、かつては生活を営む上で人間と馬は常に寄り添っていた。交通や荷物の運搬、農作業にと、馬には大変お世話になった
▼それは地域の概要を記した地誌からも分かる。昨年見つかった、1876(明治9)年の熊出村(現・新発田市)の村誌控えには、人口や戸数のほか「牝馬拾五頭」と、馬の頭数も明記していた
▼一方で「魏志倭人伝」には「其地無牛馬虎…」という記述がある。卑弥呼(ひみこ)がいた3世紀前半ごろの日本に馬はいなかったようだ。その後の時代の古墳からは豪華な馬具が出土しており、その頃に朝鮮半島から伝来したとされる
▼武士が勃興すると「弓馬の道」の言葉通り、その関係はさらに深まる。源平合戦でも大活躍。源義経は一ノ谷の戦いで馬もろとも崖を駆け下った。現在の新発田市などを含む加地荘の地頭になった佐々木盛綱は、騎馬で海を渡り平家を攻撃した
▼貴族にも愛された。馬を走らせ勝敗を争う「競(くら)べ馬」は宮中行事だった。京都の上賀茂神社では庶民も熱狂した。「賀茂の競べ馬を見侍(はべ)りしに、車の前に雑人(ぞうにん)立ち隔てて見えざりし」。兼好法師は会場の人だかりを徒然草に書いた。伝統の行事は今も続く
▼現代の競馬は国を問わず人気を集める。来月2日にパリで開かれる世界最高峰レース凱旋門賞に今年は日本から4頭が出走予定だ。過去に日本勢が勝ったことはなく制覇はファンを含め日本競馬界の悲願。馬肥ゆる秋である。今年こそ世界の壁を突き破ってほしい。