「先生と呼ばれるほどのばかでなし」などと言うことがある。ここで言う先生とは学校の教諭というよりも、先生とおだてられて得意げになっている人を指すのだろう
▼本来は敬意を込めた呼称のはずなのだが、時には小ばかにしたニュアンスが漂う。気の置けない仲間内で「先生、しっかりしてよ」と言えば、からかいの色がにじむ。時と場合によって色彩や重みが変わってくる言葉である
▼自分が偉くなったと勘違いしないよう戒めようというのか。大阪府議会の議長が、議員を「先生」ではなく「さん」付けで呼ぶことを提案した。国会議員を代表例として、政界には議員を先生と呼ぶ慣習が広く存在している
▼確かに便利な呼称ではあるのだろう。先生と呼んでおけば取りあえず失礼には当たらない。この呼称を嫌がる議員は「さん」なり「議員」とすればいい。ただ、先生と呼ばれているうちに、自らを大物と錯覚するご仁もいるようだ
▼「先生」は元々、読んで字のごとく「先に生まれた人」を意味した。それが先達や、知識・技能に優れた人を指すようになったらしい。今や先述のように意味合いはさらに広がり、呼称と実体との落差が大きいことが往々にしてある
▼呼ぶ側がおのずと敬意を払いたくなるような人が先生と呼ばれるのは自然なことだ。問われるのは、当の人物がその呼称にふさわしいかどうか。呼ばれる側はよくよく自分の中身を見つめた方がいい。自らに向けられた呼称に嘲笑(ちょうしょう)やからかいの色はないだろうか。