稲刈りが進む新潟市の郊外を車で走った。刈り残された田んぼでは傾いたり倒れたりした稲が目立った。昔はコンバインで刈るのが難しかったので竹の棒を使い稲を1株ずつ真っすぐに立たせた。つらい手伝いの記憶がよみがえった
▼万葉集の和歌が詠まれた千数百年前、皇族など一部の人を除きほとんどの人たちはコメ作りにいそしみ、都の周りは水田が広がっていたとみられる。筆者と似た風景を見たであろう歌人、但馬皇女(たじまのひめみこ)は詠んだ。〈秋の田の 穂向の寄れる かた寄りに 君に寄りなな 言痛(こちた)くありとも〉
▼奈良県立万葉文化館によると「秋の田の稲穂の向きが風になびくように、一方に心をなびかせてあなたに寄りたいことよ。いかに評判を立てられても」との意味だという
▼稲穂を恋心に例えた名歌を残したものの、思いを寄せた皇子との恋愛が実ることはなかった。こんな1首もある。〈人言(ひとごと)を繁み言痛み 己が世に いまだ渡らぬ 朝川渡る〉。(人のうわさが多くうるさいので生まれて初めて夜明けの川を渡ることよ)
▼川のような障害が恋に伴うのは、昔も今も皇族も庶民も変わらない。〈色恋の 成就しなさに くらべれば 仕事は終わる やりさえすれば〉。これは現代の歌人、枡野浩一さんの1首である
▼この原稿を書いたら、軽トラックに乗って田んぼへ行こう。使い古しのコンバインが待っている。稲刈りが終わるまで、あとひと息。「やりさえすれば仕事は終わる」。これも古くから変わらない真実だろう。