テレビの動物番組では自らを犠牲にし、敵から子を守るメスが紹介されることがある。人間を含め、子育てをする生物には母性が備わっているといわれる。かつては「母になることが女の幸せ」と言われることさえあった
▼ともすれば神聖化されがちな「母性愛」のイメージに挑むようなタイトルの本が学術書としては異例の話題を呼んでいる。イスラエルの社会学者オルナ・ドーナトさんの「母親になって後悔してる」(新潮社)である
▼「過去に戻れたら再び母親になりますか?」との質問に「ノー」と答えた23人にインタビューした。そこから浮かび上がったのは、育児をはじめ母親の役割を女性が担うことを当然視してきた社会の在り方が、少なからぬ女性の重荷となっている現状だ
▼「この役割に耐えられない」「本当は望んでいなかった」。長年口に出すのはタブーとされてきた感情の告白は各国で大きな反響を集めた。本の帯にはこんな言葉がある。「子どもを愛している。それでも母でない人生を想(おも)う」
▼回答者の中に育児放棄や虐待をする人はいないという。著者は「母になった後悔と子への愛情は両立する」と強調する。日本語訳者の鹿田昌美さんは「女性として生きづらい人が感じているもやもやした気持ちや状況が言語化された」と指摘する
▼「あるべき母親像」に苦しむ人は多い。その一方で少子化を背景に、子どもを産まない人への有形無形の圧力も強い。私たちの社会が女性に押しつけてきたものの重さを思う。