戦国大名の筒井順昭は病に伏して死期を悟ったが、跡継ぎはまだ幼かった。そのため、自分と声が似ていた木阿弥(もくあみ)という人物を市中から召し出して身代わりにするよう言い残した
▼家臣は遺言通りにし、跡継ぎが成長すると順昭の死を公にした。木阿弥もまた市井の人に戻った。「元のもくあみ」という慣用句の由来は定かではないが、軍記「天正記」は、こうした故事を伝えている
▼元の状態に戻るという意味で「元のもくあみ」と嘆く人もいるだろう。原発の運転期間を原則40年、最長60年と定めた規定が削除される見通しになった。東京電力福島第1原発事故を受け、規制改革の目玉となったルールが撤廃されることになる
▼福島で過酷事故を経験し、この国は少しずつでも脱原発の道を歩むはずだった。しかし昨今の燃料費の高騰などを背景に、岸田文雄政権は原発の再稼働や新増設の方針に転換した。原発政策は福島事故以前に戻ったような感がある
▼見方によっては当時よりも推進の色を濃くしているのかもしれない。運転期間のルールをなくし、新増設も認めるとなれば、立地地域は未来永劫(えいごう)、原発と隣り合って暮らすことになりかねない。再生可能エネルギーの可能性を探ることよりも、原発への依存傾向が強まることすら考えられる
▼ひとたび過酷事故が起きれば、どれほどのものを失うか、私たちは胸に刻んだはずだった。福島事故の教訓とは何だったのかと言いたくなる。教訓さえもが元のもくあみになってしまうのか。