悲劇から長い年月を経て、ようやく先ごろ始まった二つの刑事裁判がある。遺族や関係者にとっては、どれだけの時間が流れても心の痛みを忘れられない日々だっただろう

▼一つは新潟地裁で審理されている新発田市の女性殺害事件だ。20歳だった女性が2014年1月に行方不明となり、3カ月後に遺体で発見され8年半が過ぎた。女性の祖母は裁判が始まる前に「家族にとって本当に長かった。孫を返してほしい」と話していた

▼もう一つは1971年11月14日に起きた渋谷暴動事件だ。デモの警備中だった県警巡査=当時(21)、殉職で2階級特進し警部補=が火炎瓶などで襲われ翌日死亡した。元同僚は公判で、催涙ガス弾を発射する機械を持つよう巡査に指示したと説明し「持たせなければ殺されることはなかった」と悔やんだ

▼こちらは裁判が始まるまで51年もの年月を要した。長い時間を経た事件の立証は容易でない。捜査が長引いたケースの多くは、それだけ直接的証拠が乏しく、立証の壁になるからだ

▼2件の裁判の被告は、両者とも無罪を主張している。刑事裁判は、えん罪を生まないために「推定無罪」と「疑わしきは被告人の利益に」を原則にする。予断を持って裁判を見ることは避けねばならない

▼ただ、被害者の遺族らは何より事件の真相が明らかになることを望んでいるはずだ。20年余しか生きていない若者が、ある日突然命を絶たれた。そのことへの憤りと追悼の思いは、年月が過ぎ去っても消えることはない。

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