死刑は国家が人間の命を奪う究極の刑罰だ。その命令を下す重責をどう認識しているのか。発言はあまりに軽率で、法相の任に適しているとは到底思えない。
自民党岸田派の葉梨康弘法相が東京都内の会合で「だいたい法相は朝、死刑(執行)のはんこを押す。昼のニュースのトップになるのはそういうときだけという地味な役職だ」と発言した。
葉梨氏は松野博一官房長官から厳重注意を受けた後、参院法務委員会でおわびし、発言を一部撤回すると表明した。職務を軽んじているかのような印象を与えたことは「本意ではない」と釈明した。
しかし謝罪と撤回をすれば済む問題ではない。
死刑執行の判断は、判決に間違いがないかを見定めるだけでなく、命を奪う刑罰が是か非か、その本質を問うものだ。
それを一般的な決裁と同じように「はんこを押す」と表現する感覚は全く理解できない。
死刑制度に対しては、国際社会から厳しい目が向けられている。
今年7月に日本が死刑を執行した際には、駐日欧州連合(EU)代表部などが「残虐で非人道的かつ屈辱的な刑の最たるもの」だとする声明を出して非難した。
法相が軽々しく発言しては日本の人権感覚が疑われかねず、見過ごすわけにはいかない。
会合で葉梨氏は、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)問題にも触れ、「旧統一教会問題に抱き付かれてしまい、解決に取り組まなければならず、私の顔もテレビに出るようになった」とも語った。
法相は旧統一教会問題で関係省庁連絡会議の座長を務め、被害相談窓口などを所管している。
しかし発言は、被害者の深刻な状況を理解しているようには聞こえない。救済新法をはじめ被害者に向けた対策が今国会の重要な焦点となる中で重責を果たせるか、不安を覚える。
葉梨氏は「法相になってもお金は集まらない。なかなか票も入らない」と述べた。閣僚ポストが利権や票集めに直結していると受け止められても仕方がない。
発言を受け、野党が辞任を求めただけでなく、閣内や与党からも「命の重さと法の厳正さの象徴である法相として覚悟に欠ける」などと批判が出ている。葉梨氏は重く受け止めねばならない。
一方、岸田文雄首相は「職責の重さをしっかりと感じて説明責任を果たしてもらいたい」と述べ、葉梨氏の更迭を否定した。
閣内では、政治資金収支報告書の記載を巡る問題などで寺田稔総務相が浮上する疑惑への追及をのらりくらりとかわしているが、ここでも首相は静観している。
岸田政権の閣僚の適格性に国民は疑問を抱いている。首相が任命責任を自覚し、指導力を示さなければ、信頼回復が遠のくだけだ。
