「『もっこ』だったからね」。亡き父について母はよく、愛情を込めて揶揄(やゆ)する。「もっこ」は佐渡弁で「へそ曲がり」や「変わり者」。家では無口で自己主張をしなかったが、長年連れ添った母には頑固な一面を見せたのだろう

▼ことし生誕90年、没後40年を迎えたピアニストのグレン・グールドも正真正銘の「もっこ」だった。天才ぶりや端正な顔立ちとともに奇行が注目を集めた。夏でもコートを着込む。背を丸めたり足を組んだり、セオリーに反する姿勢でうなり声を上げて演奏した。独自の作品解釈を曲げず、周囲と衝突した

▼名指揮者バーンスタインと共演した演奏会では、最後までテンポについて意見が合わなかった。納得いかないバーンスタインは聴衆に「これはグールドのテンポです」と前置きして演奏したという

▼普通なら脂が乗る30代でコンサート活動から退き、専らレコーディングに取り組んだ。現在のようなデジタルの編集技術はない時代。録音テープを切り貼りし、最高の音を追求した

▼彼の演奏は今も根強い人気がある。録音メディアを芸術と呼べる領域にまで高めた先見性も近年、改めて評価されている

▼自分を曲げない人は、しばしば厄介者と見られる。だが、彼らの発想やこだわりは新しい価値を生み出してきた。アップル創業者のスティーブ・ジョブズも長岡藩家老の河井継之助も偏屈と言われた。近年はあえて「変人」を採用すると掲げる企業もある。今後「もっこ」は褒め言葉になるかもしれない。

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