本紙窓欄で先月、97歳の女性が會津八一について学ぼうと八一が愛した奈良県を訪れた思い出をつづっていた。法隆寺では百済観音の「すらりとした美しいお姿」に引かれたという
▼クスノキを使った木像は高さ2メートル超。笑みを浮かべ、右の手のひらを上に向け、左手で細首の水入れをつまむ。八一は、その美しさを詠んだ
▼「ほほゑみて うつつごころ に あり たたす くだらぼとけ に しく ものぞ なき」。かすかにほほ笑み、うつらうつらの夢見姿の百済観音、飛鳥の昔からずっと立っている、その姿に及ぶものはない-。そんな思いがにじむ
▼新潟市中央区の會津八一記念館で開かれている特別展「仏像の美」には、百済観音を撮影した写真も展示されている。その前に立つと「しく ものぞ なき」と言い切った八一の心情が分かるような気がした
▼百済は千数百年前、朝鮮半島にあった国の名前だが、百済観音は日本で作られたとみられる。日本では飛鳥時代、大半の木像にクスノキが用いられたが、百済では例がないからだ。「木造観世音菩薩立像」という名称で国宝に指定されているのに、なぜ通称が百済観音なのか。「今も謎」である(村松哲文「仏像鑑賞入門」)
▼仏像は、私たちが生まれる前からあり、死後も存在し続けることだろう。村松さんは「仏像にとって、拝観している私たちは、長い歴史の中のほんの一瞬、前を通り過ぎる人でしかない」という。時の流れを考えれば謎のままでいいのかもしれない。