寒気を催す言葉遣いを先日の紙面に見つけた。ウクライナに侵攻したロシア軍が首都キーウ(キエフ)近郊ブチャで、ウクライナ軍への協力などが疑われる民間人を選別し、虐殺していた。その行為を「浄化」作戦と呼んでいたという
▼浄化とは汚れを取り除き、きれいにすることである。本来は美しい意味の言葉だろう。それなのに、自分たちに敵対したり都合の悪いことをしたりする人々への弾圧を指すのに使うとは。どす黒い行為を浄化と呼ぶ感覚に背筋が凍る
▼実際には戦争や紛争で度々使われてきた表現だ。1990年代の旧ユーゴスラビア内戦では、ある民族が自分たちの支配地域で他民族を追放・殺害し、民族的に“純粋”な居住区をつくろうとした行為が「民族浄化」と呼ばれた
▼その後も、ミャンマーの少数民族ロヒンギャや中国のウイグル族に対する弾圧などが民族浄化に当たるとの指摘がある。民族浄化は英語の「エスニッククレンジング」の訳としてメディアでもよく使われているが、実態は本来の浄化とは程遠い
▼自分とは異質なものを遠ざけたり排斥したりすることで、周囲が浄化されたと感じる-。そんな考えは誰の心にも多かれ少なかれ存在するのだろうか。ただ、戦争という異常事態の中ではいっそう極端に表れるのかもしれない
▼「浄化」と呼ばれる人権弾圧は、意に染まない人々の「排除」に過ぎない。自分本位極まる行為を「浄化」と呼んでしまう心根こそ、取り除かなければならないのだろうけど。