角界唯一の本県出身の幕内力士として奮闘した。その頑張りをたたえたい。豊山に続く郷土力士の奮起を期待したい。
元幕内で西十両4枚目の豊山(本名小柳亮太さん、新潟市北区出身、時津風部屋)が28日、日本相撲協会に引退を届け出た。
十両で臨んだ九州場所では、5勝10敗と振るわなかった。最近は両肘のけがに苦しんでいた。29歳での引退は残念だが、苦渋の決断だったのだろう。
29日に記者会見を開き「理想とする相撲が取れなくなった。痛みで思うように体を動かすことができなくなった」と語った。
豊山の取組には本県の相撲ファンだけではなく、多くの人が元気をもらった。
力士を目指す子どもたちにも、大きな刺激になったはずだ。
大いに沸いたのは、2018年名古屋場所だろう。12勝3敗で優勝争いに絡んだ。大関の高安、関脇の御嶽海を相次いで破り、敢闘賞を受賞し初の三賞に輝いた。
大学時代からのライバルで同期入門の朝乃山との対決も楽しみな一番だった。
豊山は相撲の強豪、石川・金沢学院東高(現金沢学院高)から東京農大に進学。学生時代は世界選手権重量級を制覇した。
16年に入門して、春場所で初土俵を踏んだ。入門当初から大器との期待は大きかった。突きと押しを得意とし、三段目と幕下で優勝するなど7場所を全て勝ち越して、スピード出世で翌17年夏場所に新入幕を果した。
幕内入りを機に、しこ名を小柳から豊山に改めた。
豊山は、元大関で日本相撲協会理事長を務めた、新発田市出身の内田勝男さんが名乗った由緒のあるしこ名だ。
3代目となった豊山は20年7月場所で最高位の西前頭筆頭として土俵に上がった。
引退後は相撲協会を離れ、パーソナルトレーナーを目指すという。「新潟から関取がいなくなってしまったが、相撲界で活躍したいという子どもが一人でも出てきてもらえるような環境づくりに参加したい」と述べた。
来場所からは、ほかの郷土力士にいっそう目が注がれる。
佐渡市出身の朝乃若、関川村出身の王輝は、一度十両へ上がったものの、幕下へ転落している。稽古を重ね、再び十両へ復帰、さらには幕内へ進めるよう日々怠りなく精進に努めてほしい。