弁当作りを始めてから半年が過ぎた。献立は毎朝、布団の中で考えることにしている。冷蔵庫の食材を思い浮かべ、料理の手順を考え、ようやく布団からはい出す

▼台所に立って米をとぎ、朝ご飯のみそ汁作りから始めるのがパターンだ。半年もよく続いたと思うが、献立を考えるのがおっくうな日も多い。色合いや栄養バランスに気を遣う余裕もなくなってきた

▼自分で作るようになって、中高生の頃に毎日作ってくれていた母の苦労に思い至った。そんなことを考えずに「彩りがいまいち」「同じおかずばかり」と文句を言っていた当時を思うと反省しきりだ

▼インターネットで弁当を検索してみると、彩りや栄養に気を配った、きれいな盛りつけの写真が目立つ。ただ、よく探すと、それとは真逆の路線もあった。白いご飯にアジフライやめんたいこなど、おかずを一品だけ載せたものや、毎日全く同じおかずのものもある

▼そうした「写真映え」のしない弁当を交流サイト(SNS)で堂々と紹介している人が意外と多い。「こういう弁当が好き」「これで十分」と肯定的なコメントも寄せられている。個性にあふれ、自由な発想の弁当を眺めていると、むしろ楽しくなってくる

▼見た目が美しく、栄養バランスが整った弁当は、もちろん素晴らしい。でも「映えない」弁当も、それはそれでいい。やる気が出ない日には、白いご飯とおかず一品で十分だ。塩むすびだけでもいい。新潟の米のおいしさに感謝をしながら、かみしめたい。

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