旧長岡藩家老の娘として生まれた杉本鉞子(えつこ)が結婚のため初渡米したのは1898(明治31)年。ホテルでこんな体験をしたと著書で振り返っている。「小さい部屋に入ったと思うと、その部屋が動き出してどんどん昇り、止ったところは大きな部屋で、まるで山頂のように、眺望の利くところでした」(大岩美代訳「武士の娘」)

▼エレベーターで高層階に上ったのだろう。米国での経験は何もかもが珍しく、まごついたが、うれしくもあったと書いている。異国の街並みを見下ろし、どんな思いを抱いたのか。初めて目にする風景に触れ、国際人として一歩を踏み出した

▼「新しい景色」を合言葉に、まだ見ぬ高みを目指してきた。サッカーワールドカップ(W杯)のカタール大会に出場した日本代表である。初のベスト8入りに挑戦したが、またしても壁にはね返された

▼最後はPK戦で涙をのんだ。運に左右される要素も大きいとはいえ、紙一重の差は勝者と敗者をくっきりと隔てた。世界の8強としての景色を眺めることはできなかった

▼それでも、優勝経験のある強豪を2度も倒した。W杯の大舞台で初めて目にした光景だった。「新しい景色」の輪郭はつかめたのではなかったか

▼大会前、吉田麻也主将は「グッドルーザー(良き敗者)はもういい」と話し、勝利にこだわる姿勢を強調していた。ならば、代表チームには敬意を払いつつ、過度には慰めの言葉を贈るまい。「新しい景色」に再び挑む力となる悔しさを得たのだから。

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