里子だった女性から結婚に際し養母への思いを聞く機会があった。「ひどいことを言って泣かせたこともあったし、いつでも手放すことができたとも思う。育ててくれて感謝しかない」と打ち明けてくれた

▼女性は生後すぐ里親に預けられた。それとなく「自分がいると実母が働けないから」と理由を耳にしていた。でも毎年誕生日には会い、プレゼントをもらっていた。いつか迎えに来てくれると心の片隅で信じていた

▼思春期のある日、再婚して子どもができたから引き取れないという実母の意向を知った。生きる気力を失った女性は、寂しさを埋めようと非行に走った。そんな時、そばにいてくれたのは養母だった

▼養母は女性の養育を振り返り、冷や汗の連続だったとして「上りのないジェットコースター」と例えた。実子が3人いたが勝手が違う。だが、女性が背負う悲しみの重さを知るにつれ「実親以上にこの子をちゃんと育て、自立させなければならない」と考えるようになった

▼制度上、里子が大人になると里親委託は解除される。それでも女性は変わらず養母を「お母さん」と呼んだ。真っ先に結婚を報告すると電話の向こうから涙声で祝福された。「生みの親より育ての親」という言葉がしっくりきた

▼日本には親と暮らせない子どもが4万5千人いる。実親が養育を諦めざるを得ないケースもあるだろう。国は家庭的な環境で育むことを推奨し、里親を増やそうとしている。当然ながら何より大切なのは子どもの幸せだ。

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