この人には、いつも驚かされる。ボクシング・バンタム級で日本人初の世界4団体統一王者になった井上尚弥選手だ。偉業達成の余韻も冷めないうちに全ての王座を返上し、史上初の2階級での統一を目指すと表明した

▼バンタム級と聞くと、ボクシング漫画「あしたのジョー」を思い起こす人もいるだろう。主人公の矢吹丈が宿命のライバル力石徹と死闘を繰り広げた階級だ。力石は丈と闘うために、この階級にこだわって過酷な減量に耐えた

▼「週刊少年マガジン」で連載が始まったのは、もう55年も前のことだ。絶大な人気を誇り、その後はテレビアニメや映画も製作された。「ジョー」に夢中になったのは50~60代が中心だろうか

▼昨年はそうした世代の自殺が目立ったという。自殺者は2年ぶりに増加し、男女ともに50代の増加数が多かった。長引くウイルス禍や、就労環境、経済状況の悪化などが影響しているようだ。何とも痛ましい

▼丈のトレーナーはジャブやストレート、クロスカウンターといったボクシング技術を教えるにあたり、一つの言葉を添えた。「あしたのために」。いつか強くなるために、ライバルを倒すために、「あした」を信じて腕を磨けという意味だろう

▼誰もが絶望することなく「あしたのために」と生きていける社会でありたい。心が折れた人に対しては、手を差し伸べたい。井上選手は誰よりも「あした」を信じているのではないか。常人には到底まねのできない生き方だけど、その姿は力をくれる。

朗読日報抄とは?