作家の幸田文は1970年代後半、突如取りつかれたように各地の山崩れの現場に足を運んだ。執筆したエッセーをまとめ、没後に出版されたのが「崩れ」である
▼「なんと日本中には、崩壊山地が多いことか」と、北海道の有珠山や火山活動が続く桜島へ。時には、地元の山の達人に背負われて現地へ赴いた。「新潟県は崩れの多いところだときく」と松之山にも入った。山の美しさは、荒々しさと隣り合わせだと訴えた
▼昨年の大みそか未明には山形県鶴岡市で大規模な土砂崩れが発生し、2人の命が奪われた。融雪が一因とみられ、引き合いに出されたのは2021年3月4日に起きた糸魚川市来海沢(くるみさわ)での地滑りだった
▼早めの避難でけが人は出なかったが、まだ避難指示が解除されない世帯がある。融雪期に備え、指示の範囲も再び拡大された。「早く全員が自宅に戻れるように」が集落の願いだ
▼糸魚川市出身の文人、相馬御風が作詞した童謡に「春よ来い」がある。春を待ち望む、優しい歌詞だ。御風を研究する市職員の榊正喜さんは、雪にまつわる重苦しい空気を払拭(ふっしょく)したいという思いを込めたと推測する
▼この作品が発表される前年の1922年2月、北陸本線親不知-青海間の勝山トンネル付近で雪崩が起き、列車の90人が死亡した。御風は心を痛め、犠牲者や遺族の世話役を務めた。春に対し「来い、早く来い」と積極的な表現になったのはそのためでは、というのだ。春の光を待ちわびつつ自然の脅威も忘れずにいたい。