東日本大震災が発生した3月11日の午後2時46分、東北では震災時と同じサイレンを鳴らす自治体がある。あの日の記憶を忘れず、命を落とした人の冥福を祈る趣旨だ。一方で、当時に引き戻されるような気持ちになり、いたたまれないと耳をふさぐ遺族もいる
▼先日の本紙おとなプラスが、そんな人々の思いを伝えていた。ある女性は小学生だった息子を亡くした。津波を知らせるサイレンは怖かっただろうと推し量る。その場面に自分が入り込む感覚になるのが苦しく、当日は寺にこもって念仏を唱えるという
▼女性にとってサイレンは「死へのカウントダウン」のように聞こえる。別の女性も音を聞かないよう努めており「周囲との温度差を感じるのも嫌」と打ち明ける。音が響き渡る前は身構えてしまうという人や、トイレに駆け込んでやり過ごした人もいたようだ
▼空襲犠牲者の鎮魂の思いが込められた長岡花火にも複雑な思いを抱く人がいた。火の海の中を逃げ回る中で娘を亡くした女性は、花火の意義に理解を示しつつも「空襲を思い出すから苦手」と話していた
▼花火の音と光は焼夷(しょうい)弾のそれにそっくりだという。作家で旧制長岡中学出身の半藤一利さんも東京大空襲で九死に一生を得たことから「どうしても空襲を思い出してしまう」と花火嫌いを公言してはばからなかった
▼鎮魂のサイレンや花火に込められた思いは真摯(しんし)なものだ。ただ、そんな音などを苦痛に思う人がいることも忘れずにいたい。大震災から12年である。