明治初期に地方議会の権限や選挙について定めた「府県会規則」に基づき、本県で初めての県会議員選挙が実施されたのは1879(明治12)年6月のこと。選出されたのは多くが豪農や地主出身者だったが、民権派も目立った
▼全員が平民で士族はいなかった。本紙の源流の一つ「新潟新聞」主筆で、後に「憲政の神様」と呼ばれた尾崎行雄は県会開会を控えた社説で「日本は士族あってその他はなきがごとしだった。県会議員に士族がいないのは新潟県だけ。県下を組織するのは平民で、他府県に対して誇れる」と評価した
▼もっとも、議会制度に不慣れな当時は議事も混乱続きで、県会を指導する書記にも就いた尾崎はたびたび苦言を呈した。県会には議案提出権がなく、一方で県のトップである県令には議決を拒否し再議を命じる権限があるなど、議会の機能は限定的だった
▼現在の県議会には、県の意思決定をする機能や行政をチェックする役割がある。職責は明治の昔に比べ、はるかに重い。本県ではきょう、統一地方選の前半戦となる県議選と新潟市議選が告示される
▼今回選出される県議については職責を一層重くする課題がある。東京電力柏崎刈羽原発の再稼働問題だ。国は今夏以降の再稼働を目指しており、任期中に県議会としての意思表示を求められる可能性が高い
▼原発に限らず、候補者が選挙を通じ何を訴えるのか耳をそばだてたい。さらには選挙後にどう振る舞うのかも想像してみたい。泉下の尾崎も見ていよう。