名前という存在が、いかに大切であるかを言いたかったのだろう。「雑草という草はない」。放送中のNHK連続テレビ小説「らんまん」の主人公のモデルで、植物学者の牧野富太郎の言葉とされる。数多くの植物を命名し、分類した牧野らしい物言いである
▼昭和天皇も同様の言葉を残したという。庭仕事を終えた侍従が、雑草を刈ったと伝えると「雑草ということはない」と述べ「どんな植物でも、みな名前があって、それぞれ自分の好きな場所で生を営んでいる」と諭したそうだ(入江相政編「宮中侍従物語」)
▼人にとっても名前はかけがえのない存在だろう。他人と区別するだけでなく、その人が何者であるかを示し、人生の象徴であったり、生きた証しになったりする。名前があるからこそ、その人は唯一無二の存在なのかもしれない
▼しかし昨今は、名前を堂々と名乗りにくい場面も少なくない。名前を知られたことで、他者から攻撃を受けることがある。働く人が着用する名札の扱いも見直す動きがあるという。国土交通省は、バスやタクシーの車内で義務付けている運転手の氏名掲示を廃止する
▼掲示は運転手の責任を明確にし、トラブル時に乗客が車両を特定しやすくするためだった。だが乗客から悪質なクレームを受けるケースがあり、ネット上で誹謗(ひぼう)中傷される懸念もあるため、車内では車両ナンバーだけを確認できるようにする方向だ
▼名乗ることがリスクになる。そんな時代ということだろうか。少しやるせない。