魚沼地域で勤務していた頃、この季節になると周囲の人はどこかそわそわし始めた。長い冬が終わり、ようやく訪れた山菜シーズン。心わきたつ様子が伝わってきた

▼目当ての収穫物のうち、比較的手ごろに見つけられるのがアケビの新芽。地元では「木の芽」と称する。あく抜きなどの手間もさほどでなく、おひたしや、卵の黄身を落とした巣ごもりなどで楽しめる

▼作家の開高健は執筆や釣りのため魚沼市の銀山平に足しげく通い、木の芽をはじめとした山菜を堪能した。元サントリー会長で盟友の佐治敬三と、ザルいっぱいに盛った木の芽をお代わりしたという逸話も残る

▼食通だった作家は、食物にはおびただしい味があるが「“気品”ということになれば、それは“ホロにがさ”ではないだろうか」と書いている。「山菜のホロにがさには“気品”としかいいようのない一種の清浄がある」とも評した (「白いページ」)。その言葉に うなずく。山菜を口にすると、冬の間に体にたまった毒気のようなものを清めてくれるような気がする

▼木の芽については県外では食用としない地域もある。県内でも地域によっては、あまり食べないらしい。知人が隣県にある連れ合いの実家を訪れた際、わんさと見つけて大喜びで収穫していると、周囲にけげんな顔をされたそうだ

▼食文化は地域に根差す。木の芽をはじめ、ある種の植物を食べるかどうかも、それぞれの土地の文化だろう。そんなことを思いつつことしも山の恵みを楽しみたい。

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