子煩悩な無頼派作家。こう言うと不思議な感じもするが、相反する性質を併せ持つのが人間というものかもしれない。新潟市出身の坂口安吾である

▼旧市長公舎「安吾 風の館」で開かれている企画展「人の子の親となりて」をのぞいてきた。1953年、安吾は46歳で初めて子どもを持った。長男で写真家の綱男さんである。父親であった期間は48歳で死去するまでのわずか1年半ほどだった。企画展では当時の写真や、ゆかりの品が展示されている

▼笑顔の写真が少ないという安吾だが、この頃は表情を緩めていることが多い。幼子を膝の上に抱いたり乳母車を押したり。離乳食を食べさせている姿も収められている

▼自身のドテラの胸の部分を切り取ってお守り袋にし、綱男さんの服に結びつけていた。子を思う気持ちが伝わる。作家仲間の尾崎士郎が親になった際は嘆いてみせたが、自分に子どもができると一転して子煩悩になり、尾崎家の人々は驚きながらも、ほほえましく見守ったようだ

▼子どもが生まれる前の作品では「親がなくとも、子が育つ。ウソです」「親があっても、子が育つんだ」と憎まれ口をたたいていた。「親がなきゃ、子供は、もっと、立派に育つよ」とも書いた。子どもの育つ力を信じていたと解釈することもできようか

▼子どもの育つ力を支えられる社会でありたい。きょうは「こども家庭庁」が発足して初めて迎える「こどもの日」。子どもがしっかり成長できる社会をつくる覚悟が問われる日でもある。

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