筋ジストロフィーで体の自由を奪われながら、自宅で1人暮らしを続けた長岡市の村山幸枝さんが亡くなって、今月で1年になる。出会った人々に、深い印象を残した70年の生涯だった
▼体調を崩して入院された後、新型ウイルス拡大の影響で面会もかなわぬまま、訃報を知ったのは昨年秋だった。感染禍で同じような無念を味わうことになった方もいるのではないか
▼村山さんは会話はできるが、指先以外はほぼ動かすことができなかった。それでも施設や病院ではなく地域で生きることを求め続けた。その信念と周囲の理解もあり、週に延べ150人ものヘルパーさんらがパッチワークのように入れ替わりで訪れ、全介助の日常を支えた
▼すごいことだと改めて思う。ただこれは、重度障害のある人の在宅生活を24時間支援する重度訪問介護という国の制度を、利用したくてもできなかった事情がある。サービスを提供できる事業者が地域にはなかった
▼環境による制約があっても、村山さんは社会と関わり続けることを諦めなかった。会うたび、こちらは日々の不遜を恥じた。知恵を絞って支えた関係者にも気高さを感じる。村山さんの歩みを「すごい」で終わらせず、重い障害があっても地域で生きる権利の尊重につなげる道標としたい
▼十日町市の旧中里村にある村山さんのお墓を訪ねた。新緑の木々や河岸段丘を見渡し、空を見上げた。人生の相棒だった電動車いすを降りた今、自由な風になって飛び回っているだろうと夢想した。