人類が初めて己の顔を見たのは、水面に映った姿ではなかったか。水鏡は最古の鏡と呼んでいいのかもしれない。この季節、県内には巨大な水鏡が出現する。水を張った田んぼである

▼新潟市近郊では用水路の水栓が開けられ、田起こしが済んだほ場に水が注ぎ込まれた。日ごとに水鏡が増え、田植えもかなり進んだ。山頂など高い所から見下ろすと、何枚もの鏡がパッチワークのように越後平野を埋め尽くしているのが分かる。風がない日は青空や夕焼け空が水面に映し出される

▼以前、交流サイト(SNS)に幻想的な動画が投稿されて話題になった。夜の闇の中を電車が走り抜けていく。線路の脇に広がる水田に、電車の窓明かりが反射する。窓から漏れる明かりの列と水田に映った明かりの列が、上下一組のようになって滑るように去っていく

▼まるで宇宙空間を走っているようだ。水鏡が映し出す、光の列の美しさに息をのむ。宮沢賢治が書いた銀河鉄道が実在するとしたら、こんな姿をしているのかもしれない。田植えが終わった苗の背が伸びるまで、ほんの一時だけ目にできる、幻のような景色である

▼人は鏡を見なくなると、周囲からどう見られているかを気にしなくなるという。鏡に映る自分を見ることにより、身だしなみに注意し、周囲との関係にも気を配っているのだろう

▼巨大な水鏡が出現するこの季節は、そこに映った本県の姿を見つめ直す好機ともいえる。そんな機会を与えてくれる、期間限定の貴重な鏡である。

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