終戦直後の1945年秋。仏間のふすまを開けると、思い詰めた表情の若い男がいた。海軍から復員し周囲に合わせる顔がないと自殺も考えたという男は「社会の矛盾をなくすため全力を尽くす」と再出発を誓った。その言葉を静かに聞き「あなたの強い意志があればできます」と背中を押した
▼亀田郷土地改良区の理事長だった故佐野藤三郎さんの妻ミツイさんの追想だ。二人は仏間での誓いから間もなく結婚した。芦沼(あしぬま)と呼ばれた土地を暮らしやすくしようと奔走するようになった夫を、ミツイさんは黙々と支え続けた
▼高度成長期には農地が乱開発された。農作業に励むより土地を売ってもうける動きも生じた。藤三郎さんは農家の誇りを守ろうとする一方、都市化にも理解を示した。都市と農村の共存に向け、戦略的に市街地、緩衝地、農地に区分する「ゾーニング」の意義を唱えた
▼家庭の中には、いつもミツイさんの笑顔があった。夫は海外にも活躍の場を広げ、遅い帰宅が続いたが「ご苦労さまです」と努めて明るく出迎えた
▼夫の奮闘はその後の政令市誕生にもつながった。ミツイさんにとってそんな夫は頼もしかった。ただ、より記憶に残るのは忙しい合間を縫って手料理を振る舞ってくれた姿だった。「お煮しめや野菜炒めをさっと作ってくれて」
▼ミツイさんは先月、98歳で亡くなった。今年で生誕100年となる藤三郎さんを新潟の名誉市民にしようと有志が模索している。天国の夫妻に吉報が届くことを願っている。