昭和2(1927)年生まれの作家には特徴があるらしい。昭和20年の敗戦の年に最も多感とされる18歳になった。それまでの価値観が一変したため、リーダーや為政者への不信感を根強く持った世代という。だから英雄や豪傑を主人公にしない
▼代表格は2人いる。吉村昭と藤沢周平である。数々の戦史小説で一兵卒らを主人公に据え秘話を記録した吉村。歴史小説の名手、藤沢は架空の藩などを舞台に下級武士らを生き生きと描いた。共に歴史を上から俯瞰(ふかん)せず、地べたの視線で書くのが特徴という
▼一方、この人は敗戦の年、彼らより一つ上の19歳だった。詩人の茨木のり子である。学徒動員先で敗戦を知る。代表作の「わたしが一番きれいだったとき」の一節は、やはり多感な時期に青春を奪われた悔いがじわりとにじむ
▼「わたしが一番きれいだったとき/だれもやさしい贈物を捧(ささ)げてはくれなかった/男たちは挙手の礼しか知らなくて/きれいな眼差(まなざし)だけを残し皆発(た)っていった」
▼この詩を読み返してから、ロシアが侵攻したウクライナで続く戦闘の映像が流れるたび、双方の兵士の目が気になる。命懸けの戦場に身を置く、彼らのまなざしの先には何があるのだろう
▼ウクライナのゼレンスキー大統領が、原爆で被災した広島に似ていると語った廃虚の街か。爆撃の煙や炎、進む戦車、敵を狙う銃口か。改めて思う。若者に「きれいなまなざし」で見てほしいものは。愛する家族や恋人の笑顔、故郷の美しい自然であってほしい。