調査だの報告だの研究だの発表だの。その一つ一つについて、教師は小うるさい批判を受けなくてはならない。石川達三の実話を基にした社会派小説「人間の壁」の中に、先生の多忙ぶりがしのばれるくだりがある
▼昭和30年代が舞台にもかかわらず、どこか現代に通じるものがある。作品は退職勧告を受けた女性教師が組合活動を通じ、自己を確立していくさまを描く。首切りの背景には県財政の悪化による教育予算の削減があった
▼昔も今も先生は忙しい。小学校では英語が始まった。デジタル化が進んだからといって、研究や発表がなくなるわけではない。本紙生活面にも「ブラック」な職場環境を嘆く教員の声が届く
▼文部科学省が公表した教員勤務実態調査で、週50時間以上働いた教諭が中学校で77・1%、小学校でも64・5%に上った。残業の上限を超えることになる数字である。過労死ラインに達する「週60時間以上」の割合が前回調査より減ったとはいえ、お世辞にも「よくできました」とは言えない
▼部活は外の人に任せる、登下校の見守りは地域住民で…。働き方改革が進む一方、持ち帰りの仕事もあると聞く。時折、子どもの個人情報が入ったUSBメモリーをなくした教職員の記事を目にする。業務の実態と関連があるのかどうか
▼残業代を支給するための法整備や手当の創設が検討されているが費用がかさむ。先生の処遇改善に財源の壁がそびえる。現場の繁忙感と同様、そんな事情も昭和の世から変わっていない。