今では国内有数のスノーリゾートである湯沢町にスキーが伝えられたのは1913(大正2)年だ。高田(現上越市)での技術講習会に参加した本間栄太郎という人物が、地元に戻って青年たちにスキーを紹介した

▼オーストリア・ハンガリー帝国のレルヒ少佐が日本にスキーを伝えた2年後のことである。16年ごろになると、青年たちが大工に頼んでスキーを作り、自ら滑るようになった。19年には当時の村主催の講習会が初めて開かれた

▼今では多様な種目に発展を遂げ、技術も飛躍的に進歩した。中でもモーグルはターンやスピード、そして空中に舞うエアと、スキーの魅力が詰まった競技だ。取り組む選手は、まさしくスキーの申し子と言っていい

▼湯沢の雪に育まれた2人が北京五輪で躍動した。川村あんり選手は、祖父が持つマンションを訪れたのをきっかけに、3歳でスキーを始めた。モーグルの魅力に取りつかれ、湯沢のさまざまな雪、斜面を滑った経験が世界トップクラスのターン技術の礎になった

▼長岡市出身の星野純子選手は競技を始めて間もなく、週末の度に湯沢に通うようになった。当時のコーチの家族が営む旅館に住み込んで、手伝いながら練習を積んだ。けがに苦しんだ時期もあったが、2大会ぶりの五輪出場をつかみ取った

▼北京では、2人とも望んだ結果は得られなかった。ただ、競技を終えた後は涙を見せながら周囲への感謝を口にした。そんな姿も、コースを滑り降りる姿も、まぎれもなく美しかった。

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