ご近所からタマネギをいただいた。家庭菜園から掘ってきたばかり。乾燥させていない、いわゆる新タマネギだ。まずは生食で。おぼつかない手つきで、できるだけ薄切りにして花かつおを散らす。そしてポン酢を一垂らし

▼かみしめると、水気をたっぷり含んだ甘みが口に広がる。普通のものよりぐっと控えめな辛みが甘みを引き立てる。シャキシャキした食感が楽しい。素人のオニオンスライスだ。薄切りといいながら厚みにはばらつきがあったが、これもまたよしと、一人悦に入る

▼この料理を口にするたび、作家の立松和平さんの逸話が思い浮かぶ。1966年に進学のため栃木から上京し、食堂に入った。品書きの中で貧乏学生の目に止まったのは、ひときわ安いオニオンスライスだった

▼これをオニオンス・ライスと読んで「タマネギご飯」と解釈したのだ。やがて薄切りのタマネギがテーブルに乗ったが、いつまでたってもご飯は出てこない。言葉のなまりが気になって店員に声もかけられず、ご飯はないと一人合点した

▼薄切りタマネギの器を見つめる若者の姿を想像すると、都会で生きるわびしさや切なさが伝わってくる。口に運ぶと、辛みがツンと鼻に来ただろうか。それとも、ほろ苦さが広がっただろうか

▼新年度に入って間もなく3カ月。環境が変わった人も徐々に慣れる頃だ。辛みや苦みを感じている人もいるかもしれない。いつか甘みを感じられる日が訪れますように。甘みを引き立てるのは辛みや苦みのはずだ。

朗読日報抄とは?