あの時、自分ならどうしただろう。後々まで心の隅に引っかかり、思い返すことがある。先日の真夏日、急用でタクシーに乗った時だ

▼新潟バイパスをくぐる道路で、お年寄りの女性が身をかがめていた。「日陰で少し休んでいるのかな」。そう思った。しかし、運転手はすぐに車を止め「大丈夫ですか。歩けますか」と、肩に手をやり、声をかけた

▼「医者に行く途中なんだ。腰が痛くて…」。つらそうな女性の表情を見ると、運転手は「救急車を呼びましょう」と、すかさず携帯電話を握った。聞くと、医院は近い。同乗してもらい、送り届けた。「ひかれないか心配で」。運転手は40歳くらいだった

▼もしも自分がマイカーで通りかかっていたら、どうしただろう。彼のように対応できたか。自分に問いかける。素通りしたかもしれない。運転手の職業意識か、当たり前の優しさなのか、対応は見事だった

▼「きんのぎついたち」。新潟県方言辞典によれば7月1日をこう呼ぶ地域がある。「きんのぎ」は「衣脱ぎ」の意味。月遅れの衣替えは1年の折り返しだ。昔なら田植えを終えて野良着を脱ぎ、ひと息つく時季である

▼自宅のカレンダーをめくる。毎月、仏様の心に触れる一言が添えてある。7月は「うるおいのある目で見なかったら ほんとうのことは何も見えない」。今夏も炎暑や豪雨が心配される。空模様に目を奪われ周囲への心遣いをおろそかにしていないか。「うるおいのある目」を持っているか。年後半へ気分一新だ。

朗読日報抄とは?