九州北部や秋田県などで豪雨の浸水被害が広がった。熱中症が心配される炎天下、全国からボランティアが被災地に集まる。汗水垂らして泥をかき出し、壁や床を洗い流す。「私も、いつこうなるか分からないですから」。彼らの多くがこうした言葉を口にする

▼本県もその温情に何度も助けられてきた。水環境を取材、研究する橋本淳司さんはこの「おたがいさま」の精神は、独特の農村共同体が育んできたと言う。稲作は一人でできない。用水は不満が出ないように分けなければならない

▼「我田引水」の勝手は許されず、もめごとは村の長が丸く収める和解が重視された。それを「水に流す」といい、過去の問題はなかったことにする。集落存続のための知恵である

▼水に流すという言葉の背景にある「おたがいさま」という助け合いの心は薄らいでしまった-。橋本さんは随筆でこう嘆いた。一方で、大規模に水を流そうという動きがある。東京電力福島第1原発でたまり続ける処理水を海に放出する計画のことだ

▼国際原子力機関(IAEA)が安全基準に合致すると判断し、政府はこれを盾に今夏にも放出する構えだ。しかし先日の世論調査では放出について「説明不足」が8割に上った。風評被害対策も真剣に検討されたのか

▼トラブル続きのマイナンバー制度でも、7割以上が「総点検」では解決しないと回答した。保険証廃止への懸念の声も政府は聞き流すだけなのか。こんな状況では、積もる不信感は水に流しようもない。

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