(イラスト)報道部・高橋佐紀
(イラスト)報道部・高橋佐紀
北山信大さん(左)の話に耳を傾ける岡優日さん
北山信大さん(左)の話に耳を傾ける岡優日さん
北山信大さん
北山信大さん
岡 優日さん
岡 優日さん

 「戦争に反対する人はいなかったの?」。そんな疑問を持つふむっ子記者で新潟市坂井輪小6年の岡優日(おか・ゆうひ)さん(11)が、新潟市東区の北山信大(のぶひろ)さん(90)に戦時中の話を聞きました。

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 北山さんは今の新潟市秋葉区の出身です。現在とは学校の制度が異なり、小学校卒業後に2年間、高等小学校に通いました。しかし、勉強はほとんどできなかったと言います。

 「工場に派遣されて手投げ弾の部品を作りました。大人と同じように扱われて、仕事ばっかりしていましたね」

 自分と同じような年齢の時に仕事をしていたと聞き、「信じられない」と思った岡さん。最初の疑問をぶつけてみました。

 「戦争に反対だなんて言うと警察が来るから、絶対に言えなかったんだよ」。北山さんは優しく答えました。ただ、「当時は日本軍の活躍しか耳に入ってこなかったから、戦争に負けるとは思っていませんでした」と付け加えます。

 北山さんも小学生の時は、日本軍の活躍を喜び、少年飛行兵に憧れる「軍国少年」でした。遊び場だったお寺では、「兵隊さんごっこ」をしました。お墓に身を隠し、木や竹の棒を友達に向けて「バン」と言って鉄砲を撃つまねをしました。いつかは自分も兵隊さんになると思っていました。

 1945(昭和20)年春、高等小学校を卒業した北山さんは新潟市内の工場に就職します。14歳でした。同時に入社した10人ほどの男子は、仕事の時間に軍事訓練を受けました。

 「竹やりを使ったと聞いたことがあります」と岡さんが質問すると、北山さんは「竹やりではなくて、木銃(木で銃の形を作ったもの)で突き合う練習があったんです」と教えてくれました。

 最後に北山さんは「私が子どものころは戦争中で、勉強したくてもできなかった。今はそういう時代ではないので勉強を頑張ってください」と語り掛けました。岡さんは力強く「分かりました」と答えました。

 (ふむっ子記者が、新潟県内のお年寄りに戦時中の話を聞く「すずさん×ふむふむ」は今回で終わりです)

ふむっ子記者 岡 優日さん(11) 暮らしぶりに驚き

 北山さんは、僕と同じくらいの年齢の時に戦争を体験しました。工場で働いたことや軍事訓練を受けたことは、今では考えられないことで、びっくりする話の連続でした。

 ほかにも、サツマイモのつるや大豆をまぜたご飯の話や、中身を肥料にしたというくみ取り式トイレの話など、当時の生活の様子を聞かせてもらいました。

 北山さんは、自分が勉強をしたくてもできない環境だったので、僕には勉強を頑張って幸せに暮らしてほしいと言っていました。戦争は絶対にしてはいけないとあらためて思いました。

新潟日報 2021/08/27