上越市を流れる関川の堤防を歩くと妙高山や米山が望めて美しい。上杉謙信の居城だった春日山城跡も見え、歴史に思いをはせることもできる。しかし足元の河川敷に目を向けると雑草と雑木が生い茂り、水辺は遠い

▼関川は急流で知られる。標高2400メートルの焼山を源流に、日本海までの距離は64キロ。信濃川は標高2475メートルの甲武信ケ岳(こぶしがたけ)から国内最長の367キロを下って海に達するから、これと比べると関川の勾配がいかに急かが分かる

▼それゆえに関川は水が頻繁に氾濫する暴れ川だった。下流部はかつて「荒川」と呼ばれた。暴れ川を治めようと川幅を広げ、高い堤防が築かれてきた。1995年の7・11水害以降、大きな被害は出ていない

▼一方で、近年は線状降水帯のように猛烈な雨が頻発するようになった。豪雨への備えが急がれる中、注目を集めるのが「流域治水」という考え方だ。ダムや堤防で洪水を押さえ込むだけでなく、田んぼに一時的に水をためたり、浸水しやすい地域の開発抑制や建物移転に取り組んだりして流域全体で被害を防ぐ手法だ

▼流域治水には住民の協力が欠かせない。河川の専門家は水害対策を「自分事として捉えてほしい」と訴える。行政に任せるだけでなく、自分の命と財産をどう守るか考えるべきだということだろう

▼改めて関川を眺めてみる。水辺に近づくのは容易でない。川と断絶した生活では、治水を自分事と考えることは難しい。川とのつながりを取り戻すことが防災にも役立つはずだ。

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