各地に原爆の傷痕が残る広島市内を巡る敬和学園高生=8月5日、広島市中区
各地に原爆の傷痕が残る広島市内を巡る敬和学園高生=8月5日、広島市中区

 1945年8月6日。広島市の上空約600メートルで一つの原爆がさく裂し、約14万人の尊い命を奪った。78年がたち、被爆者の高齢化が進む中、あの惨禍をどう伝え続けていくのか。広島市を訪れた敬和学園高校(新潟市北区)の生徒たちは被爆地を歩き、平和への思いを新たにした。(報道部・袖山小百合)

 「一発の原子爆弾が落とされ、一瞬のうちに街は破壊されました」。原爆の学習で広島市に来た敬和学園高の4人に、地元の広島女学院中学高等学校の高校生が静かに語った。

 敬和学園高の生徒は毎年、原爆の実相を学ぼうと広島市を訪れる。今年は8月4〜7日の日程で14人が参加した。5日は、平和教育に力を入れている広島女学院高の生徒たちに説明を受けながら被爆地などを回った。

広島平和記念公園のレストハウス内で被爆前の町並みについて広島女学院高生から説明を受ける敬和学園高生=8月5日、広島市中区

 生徒たちは平和記念公園内の原爆供養塔前で、広島女学院高の1年、木本佳奈恵さん(16)から「この慰霊碑はどうして建てられたか想像がつきますか」と問われた。...

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