第2次世界大戦で米軍は日本に本土空襲を行いました。東京や大阪、名古屋などの大都市だけでなく新潟県の長岡空襲のように地方都市も標的とされ、大きな被害が出ました。

Q 本土への空襲はいつ始まったの?

A 米軍が日本本土に初めて空襲をしたのは1942年4月18日でした。空襲が本格化したのは米軍が44年夏にマリアナ諸島を占領してからで、45年8月の終戦まで続きました。

Q 一番被害が大きかった空襲は?

A 1945年3月10日の東京大空襲です。現在の台東区、墨田区、江東区の下町地区が標的になりました。夜間に低い高度から大量の焼夷(しょうい)弾が投下されました。大きな火災が起き、木造家屋が多かった下町の大部分が焼失しました。焼失した家屋は約27万戸、約100万人が被害に遭い、死者は約10万人といわれています。

Q なぜ市街地が攻撃されたの?

A 米軍は当初、軍事施設や軍需工場を目標にしていました。東京大空襲を境に、日本国民の戦意をくじくことを目的に都市の住宅を焼き尽くす無差別爆撃へと変わりました。大都市のほかに、1945年8月1日から2日にかけては長岡や富山、水戸といった地方都市が攻撃されました。8月の6日には広島、9日には長崎に原子爆弾が投下され、たくさんの人が犠牲になりました。