12歳の時に書かれた桐逸子さんの日記。新聞の切り抜きも貼られている
12歳の時に書かれた桐逸子さんの日記。新聞の切り抜きも貼られている
母が戦時中に書いた日記を読み「敗戦色の濃い時期でも英語を普通に使っているのが意外だった」と話す町田仁美さん=南魚沼市塩沢

 戦後78回目の夏がやって来た。2023年も多くの新潟日報読者から、戦禍の記録や手記、遺品が寄せられた。その一つ一つが、戦時を生きた人々の証しだった。伝えたいと願う人がいる。受け継がなければと誓う人がいる。過去から託された思いを未来につなげ、平和を考える。

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 少女の日常は戦争とともにあった。2016年8月に84歳で亡くなったさいたま市の桐逸子(きりいつこ)さんは、女学生だった1945年4月20日から6月17日まで毎日、日記を書いた。当時は12歳。敗戦が色濃くなる厳しい生活の中でも学校生活を楽しむ様子が記されており、少女の等身大の姿を垣間見ることができる。学校では徹底した「軍国教育」が実践されていた。長女の町田仁美さん(62)=新潟県南魚沼市塩沢=は「戦争に勝つという目的の中、母なりに日々一生懸命だった」と語る。

 日記は逸子さんが亡くなってから数年後、...

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