思い出のアルバムとともに当時を振り返る外山元一さん=新潟市東区
思い出のアルバムとともに当時を振り返る外山元一さん=新潟市東区
友人らと写る中学1年生の外山元一さん(左)、この2年後に学徒動員される=1943年

 戦後78回目の夏がやって来た。2023年も多くの新潟日報読者から、戦禍の記録や手記、遺品が寄せられた。その一つ一つが、戦時を生きた人々の証しだった。伝えたいと願う人がいる。受け継がなければと誓う人がいる。過去から託された思いを未来につなげ、平和を考える。

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 突然走りだしたオーストラリア兵捕虜。捕まると木刀で背中を何度も強くたたかれていた。「思い出してもぞっとする」。新潟市東区の外山元一さん(92)は78年前、14歳のときに見た光景が脳裏に焼き付いている。

 外山さんは、新潟市立中学校(現新潟南高校)3年生だった1945年4月、学徒勤労動員で当時の新潟鉄工所山ノ下工場で働き始めた。特攻兵器のエンジン部品作りに携わった。

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 工場へはバスで通っていたが、混んでいると鉄工所の定期船に乗ることもあった。その船は「鉄工丸」。...

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