昨日に続き関東大震災について。こんな記述を残した文人がいる。「小田原の烈震は、とても東京あたりの比では無い事は確かである。この町こそまさしく地震によって全滅したのである。(中略)よく死ななかった」
▼童謡「砂山」の作詞で新潟にゆかりが深い詩人の北原白秋だ。震災は書き残さずにいられない体験だったに違いない。旅行で立ち寄った福岡県柳川市の北原白秋生家・記念館に、生々しい体験記が展示されていた
▼100年前に発生したマグニチュード7・9の震災は神奈川県西部が震源。当時、白秋が暮らした同県小田原市はほぼ震源に当たる。2階の書斎にいた白秋は逃げる途中で階段から下に落ち、頭をけがした。隣の寺は倒壊し、屋根が地面にかぶさった
▼揺れに襲われた正午ごろからの数時間を原稿用紙24枚に記した。記念館の髙田杏子館長によると「白秋が書いたもので、これほど長い体験記はほかにはない」という
▼原稿の最後には、火事で赤く染まった空の向こうに「実に怪しげな三段重ねの入道雲が、妙に赤く黄色く、むくむくと燃えあがったのが見えた」とあった。東京や横浜が大延焼していた
▼地震発生は昼食時。多発した火事を強風が広げた。犠牲者10万5千人の9割は火災による。住宅の耐震性が増し、出火対策も普及した現在はこれほどの大被害は起きないと言いたいが、木造住宅の密集地域はなお残り、空き家の増加など新たなリスクが潜む。白秋の記述は、100年後の今に教訓を伝える。